あなたとわたし、カラダ意識と出会うグループワークに出て
2016年 08月 19日
自分のクラス後まだ帰らずにスタジオにいた夫も、さすがにこのホネホネ先生には興味を示し
軸屋先生との短くもディープな会話(ほぼセッション)がその場で行われました。
カラダを探求しているもの同士の、表面上の言葉の使い方は違うけれども響き合う軸屋先生と夫の姿に
私だけだろうか、他の参加者の皆さんもそうだったのではないかな、グループワークへスムーズに入っていける状態になったのです。
軸屋先生の、着地地点の見えないお話もそこそこに(これがとてもよかったりするのですが)
ペアを組み、軸屋先生とMARU先生がいつもしてくれている基本的なところを
交互に体験しました。
触れさせてもらって、相手の身体が緊張しているなと感じると
ついゆるむ方向へ手や言葉で誘導したくなるのですが、
それはカラダ意識への不信のあらわれだし、触れている側=与える側だという関係性を作ってしまう。
そして触れられている側はなんかちょうだい、の気持ちを自然に持ってしまう。
触れさせてもらっている側がすることは、
自分の居場所にいること。居心地のいい態勢、安定するところに身を置くことかなと思い、それを心がけました。
相手のカラダにおじゃまさせてもらう。
触れているとき、またそのあと相手の中で何かがはじまる(はじまらなくてもいい)
先生がおっしゃていた中で心に残ったフレーズです。
かかとから始まりつま先ひざ下蝶骨お尻肩甲骨首の後ろ後頭部
互いに触れに触れ合いグループワークは終了しました。
ワーク後の感想で、自分は日頃からだで色々やりすぎているなと思いました(正確ではなくてすみません)
とおっしゃった方がいてそれがとても印象的でした。
あんなこんなしなくても、ここにいるのにね。
ここにいることを認めたらいいんだよな。
私もそう思いました。
それから数日経ち、
昨日満月の日、
このグループワークの感覚が突然やってきました。
生徒さんのスリヤナマスカラを見るともなく見ているとき
その方のからだが私の中に入ってきたのを感じたのです。
ああこのままでいい、私はこれを感じていればいいんだ、素直にそう思いました。
アジャストに入るときもグループワークで心がけたことをしていました。
なんの方向性も示さず、意図しない。お邪魔させてもらう。
そうしてただ触れることをしているうちに、
その生徒さんのからだの中がうにょうにょと動き出すのを感じたのです。
何がはじまっていてもいいし、何もはじまってなくてもいい。
本当にそう思えるものなんだなとあとで感じ入りました。
クラスでの自分のあり方がわかったような気がします。
ヨガのクラスを持つこと、
迷い迷いの10数年でしたが、
やっと自分に許可が出せそうです。
まだまだ続きます。
楽しみです。
by z-jyo
| 2016-08-19 13:22
| できごと